幸せに匂いがあれば日なたとかパンとか猫に似ているはずだ

あらすじ

何匹もの猫を保護したり、里親に出したり、看取ったりしてきた著者。
これまで一緒に過ごした猫との何気ない日常や、猫のおかしな行動、別れなどを、短歌とエッセイで綴った猫愛の結晶。

猫を“飼う”のではない、猫を“飼わせていただいている”のだ。
そんなことを言う人がいる。

猫が布団の真ん中で眠っていたら、人間は布団のすみっこで我慢しなければならない。
猫がひざの上に乗っている間は、足のしびれや尿意に襲われようと、そのまま耐えねばならない。

そんな猫の下僕が読めば、ニヤニヤしながら首がもげるほど頷くこと間違いなし。

名前を呼んでも振り向かない、耳だけ向ける、しっぽの先だけで返事する、完璧な無視をする子もいれば、違う名前で呼んでも返事する子もいる。
そんなどうでもいいことを、じっくりじっくり、アタリメを噛みしめるように味わっていく。

そういう日常のどうでもいいところに気を向けられる、ゆったりとした時間こそが、実は幸せなのかも。

何より、著者の目の付け所がいい。

「飼い猫について書かれた文章は、すべて『のろけ』だと思っていい」
「彼らは『かわいい』という安直な言葉を使わず、いかに飼い猫の魅力を伝えるかに腐心しているのだ」

と本文でも書いているように、愛らしいとこ、憎らしいとこ、全部ひっくるめて結局“かわいい”って結論になるんだけど、そこに至る道筋が秀逸。

もちろん、生き物を飼うのは楽しいことばかりじゃない。
突然の別れがあれば、ゆっくり忍び寄ってくるような別れもある。
別れがあるから、今いる別の子、新しい子との時間を大事にしようと思える。

ああぁーー、猫飼いたい。