ジョバンニはこういう棚から活字を拾っていくんですよね。拾った活字を箱に入れて……

あらすじ

川越の運送屋で事務をしているハルは、数年前から空き家になっていたはずの活版印刷所に明かりがついていることに気づく。中から出てきたのは、かつてその印刷所を経営していた職人の孫娘、弓子だった。

そこに住むだけのつもりの弓子だったが、昔の印刷所を知るハルから話を聞くうちに、もう一度印刷機を動かしてみることにする。

高校の図書館に古いシェイクスピアの全集があった。「おや、妖精ぢゃないかどこへゆくの?」なんて古めかしい書き方をしていたので決して読みやすくはなかったが、なんだかその本が好きだった。

真っ赤な表紙に箔押しのタイトルだけという飾り気のなさ、ページ上下の広めの余白、そして文字。こぢんまりしているのに立体的で、文字が質量を持っているような感じがした。

出版社も訳者も覚えていないけど、きっとあの本は、活版印刷だったに違いない。

かつての文字には、活字という実体があった。ゴム印のように1本にひとつ文字が刻印された「活字」を並べ、そこにインキをつけることで文書や本を印刷した。

らしい。

世代的に、私は活版印刷を知らない。
この作品は、そうした活版印刷になじみのない世代に向けて書かれている。

活版印刷についてわかりやすく説明することはもちろん、当時を知る世代が感じるノスタルジーと、若い世代が感じる新鮮さをうまくミックスさせてある。

活字をひと文字ずつ掘り、拾い、並べ、印刷する。
何人もの職人の手が活字をつなぐことで印刷物が完成したように、この物語も、印刷所とそこで印刷された文字によって人がつながっていく連作短編になっている。

各章の登場人物たちは、弓子と一緒に活字を拾ったり並べたりしていくうちに、迷いや、後悔や、素直に伝えられない気持ちなどを整理していく。

そうしてたどり着いた結論には、活版で印刷された文字と同じように力強く、読み終わったあともじんわりとした余韻が残る。